まほの毎日

夫と子ども二人と地方に住んでいます。日常を書きたいと思います。

20220624_アラビアのロレンス

前々日の青い貯金箱に続き、またイスラエル問題。

 

NHK 映像の世紀バタフライエフェクト「砂漠の英雄と百年の悲劇」を見た。

 

「砂漠の英雄と百年の悲劇」 - 映像の世紀バタフライエフェクト - NHK

 

アラビアのロレンスはアラブとユダヤの2重の密約をした本人ではない。第一次世界大戦時、オスマントルコの対抗勢力としてアラブ人を扇動したけれど、イギリスが別でユダヤ人とも密約を交わしていることを後から知りながら言い出せずに作戦を継続した。

 

この後、第二次世界大戦までは、ユダヤ人はパレスチナの地においてアラブ人との共生を志向していたロスチャイルド家)。イギリスはパレスチナへのユダヤ人入植者数を年間70万人に制限していた。(当時イギリス領)

 

主にナチスから迫害され国にいられなくなったユダヤ人は船に乗ってアメリカに逃げようとしたが、アメリカの港で受け入れを拒否され、船はヨーロッパに引き返す。途中、パレスチナに寄るが、入植者数の制限を理由にパレスチナは受け入れを拒否。オランダやベルギーなどに落ち着くも、やがてナチス支配下となり、多くは収容所送りとなった。

 

第二次大戦後、ロスチャイルド家は方針を転換、パレスチナの地ではアラブ人との共生はなくユダヤ人のみが支配するとし、アラブ人を追い出し75万人のパレスチナ難民が出た。イスラエル建国後は第一次中東戦争に突入した。

 

現在に至るまで80年間続くユダヤ対アラブの構図をつくらないための決定的な瞬間は、確かにイギリスは最初の時点で大きな過ちをおかした。でも、状況を良くできるチャンスはあった。それは、アメリカでのユダヤ難民受け入れ拒否に見える。もしあの時、アメリカがユダヤ人への門戸を開いていたら、パレスチナは、アメリカは、世界はどうなっていただろうか。