まほの毎日

夫と子ども二人と地方に住んでいます。日常を書きたいと思います。

20221006_悲しくてならない

SNSで22歳の青年が命を絶ったと知った。自身による最後の投稿にはADHDの診断書が添えられていた。バイクで日本を何周もするほど好奇心旺盛な人物。江戸末期に生まれていたら幕末の志士に名を連ねていてもおかしくない。中世のヨーロッパに生まれていたら間違いなく大西洋を横断していただろう。だが、令和の日本ではそのような人並外れた冒険心は必要とされない。それどころか周りになじまないと排除される。誰もが生き生きと生きられる社会。そのままの自分を認め合う社会。いま排除している側の人も、そのほうが生きやすいはずなんだけど。

大人になって診断を取ると、だから自分はこれまで〇〇だったんだ、と納得できるだろう。しかし、だからこれからは、と診断名を踏まえた生き方を模索するか、今までの生きづらさは解消するものではない、と絶望してしまうのか。その違いは、大人になるまでの経験にある。可能な限り、寛容な場所で過ごさせる。小さな「何とかなった」経験をいっぱいさせる。問題が起きる一歩手前の杖のような技術(例えば相手の指示を曲解する前に質問を挟むなど)を習得させる。そして自立を目指しながらも決して目を離さない。