まほの毎日

夫と子ども二人と地方に住んでいます。日常を書きたいと思います。

20220609_横井庄一さん

横井庄一さんの妻の美保子さんが亡くなられたそうだ。

 

横井庄一さんの妻・美保子さん死去…終戦後27年間ジャングルで潜伏した夫の生涯伝える : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

 

4月に、NHK「遺(のこ)された声〜横井庄一の“戦争”〜」を見た。そのとき受けた衝撃を思い出して書いてみたいと思う。

 

横井さんは戦後27年間に亘って、グアムの密林に生きていた。私は、終戦を知らされずにそのまま生きていた人、としか理解していなかった。

 

まず、潜伏せざるをえなかった事情が衝撃的だった。日本軍はグアムに上陸後、地元民を虐殺した。そのため、その後戦況が苦しくなったときに地元民はアメリカ側につき、終戦後はアメリカ軍から武器を譲り受け、日本兵を見つけると虐殺していた。アメリカ軍は容認していた。戦争は終わったぞ、出てこい!という呼びかけに従って出ていったら殺されると横井さんは認識していて、出ていくことができなかったらしい。虐殺を指示した伍長は終戦前に部下を置き去りにして早々に島を出ていた。

 

横井さんは昼間は穴の中でじっと過ごし、夜、ねずみをつかまえて食べた。仲間が2人いたが、やがてちょっとした諍いで横井さん一人が仲間を抜けているうちに、二人は病気で死んでしまった。横井さんは自責の念にかられる。そして、グアムでの戦争責任を訴えること、二人の無念の死を遺族に伝えること、の二つの思いを胸に、生き延びて日本に帰ることを祈る。

 

しかし、ようやく発見されて帰国した日本の状態は横井さんにとって非情なものだった。1972年と言えば、田中角栄が総理大臣に就任した年、世の中は戦後の経済成長を謳歌していて、横井さんの話に耳をかたむける気風はなかった。

 

美保子さんは横井さん帰国後にお見合いで結婚された。27年間も気の毒に、との思いから周囲がおぜん立てしたようだ。美保子さんは素晴らしい伴侶だったのは間違いないと思うが、横井さんが最も望んだことは普通の生活じゃなくて、違ったものだったんじゃないかな。。。

 

世代が変わり、戦争の記憶の風化を危惧する向きはあるが、横井さんが27年間紡いだ思いを世間に拒絶された絶望のことを知ると、日本人は嫌なことから耳をふさいで、敢えて戦争を風化させたんじゃないかと思った。