まほの毎日

夫と子ども二人と地方に住んでいます。日常を書きたいと思います。

20220628_団塊ジュニア女のぼやき

SNSで、「過去のことは過去においてこ!今を幸せに生きるために。」とあって、ほんとうにそうだなぁ、とじんわり実感した。

 

同世代としては何の苦労もなく育った女の子の私の、過去のことをここに置いていくことにしたい。

 

①クラスは42人学級。1,2年生でも、忘れ物をしたら担任の中指第二関節によるゲンコツは当たり前。女子は男子の後は当たり前。

 

②今は面前DVという言葉があっていいなぁ。学校の誰にも言えない、あれが日常。母が泣いて出ていって、不安で不安で吐きそうな気持ちで布団にもぐる。帰ってくるまで眠れない。

 

③「おまえはうそつきだ」と言われ続けた小学生時代。一番の噓は、お母さんが疲れて寝てると言ったのに、目を覚まして起きていたこと。

 

④「お父さんはお兄ちゃんがかわいい、お母さんは妹がかわいい、じゃあ、お前は何だ?」と、父に面と向かって尋ねられる10歳の私。

 

⑤家出の資金を確認する日々。妄想の最後には、中学生だと不良グループに入って工場裏で人生が終わるから今は耐えろ、と結論づけてため息。郵便貯金の定期預金利息は6%。

 

⑥帰宅した母にヒステリックにぶたれる。母が仕事先からかける電話に、家事を言いつけられるのを回避するためにわざと出なかったとのこと。「だからあんたはずるいのよ」と何度もぶたれる。部活で疲れて自室で寝ていただけの高校2年生。

 

⑦大学受験の日の朝。父の言う通りにしない母に怒り、父がちゃぶ台ひっくり返す。次に皿が手裏剣みたいに飛んでって、家具に刺さって落ちて割れる。飛び散る目玉焼。大学に入ったらこんな日々とはサヨナラよ、と心に言い聞かせて片付ける私。

 

⑧高校生のときは、女子大生ブーム。大学生になったら、時代は女子高生ブーム。アムロちゃんをおばさんのような目で眺める。

 

山一証券の社長が号泣して就職氷河期。学部の素敵先輩女子が紺スーツ姿で汗を拭きつつ下を向いてキャンパスを歩く8月。再来年は我が身と震えながら彼女の背中を見つめる。

 

⑩総合職にエントリーしても送られてくるのは一般職の応募票。

 

⑪やっと入った会社1年目、時代はITバブルで好景気、求人倍率も一気に上昇。去年の苦境は何だったのか。

 

⑫やっと独り立ちしたのに自分が飲み込まれる気がして、結婚しても夫婦別姓をするも誰にも理解されず。

 

⑬妊娠を告げたら契約社員に。健保の育休制度使えず。育休制度下であれば、育休中は給与の半額がずっともらえて、復帰したら育休中の残り半額分が全額もらえてたはずと。

 

⑭一人目の子どもをひーひー言って育てる。発達障害は言われ始めて間もなくで、発見フローもなし。もちろんサポ―トもなし。日本死ね問題発生中。夫は家事能力ゼロかマイナス(散らかし魔)。

 

民主党政権になって、子ども手当スタート。じんわり嬉しい。けど、二人目が産まれたのは、児童手当の所得制限がスタートした年。喪失感大。

 

⑯出産後、伸び放題のショートヘアーの髪とプリン状態の白髪染めをしに、実母に赤ちゃんを預けて美容院に行く。1時間経たぬうちに電話、赤ちゃんが目を覚まして泣いたからすぐ帰ってこい。髪切って白髪染めしたら普通は2時間。実母激怒。実母の「孫の面倒をみる」は一事が万事、この調子。

 

⑰割と深刻な病気をする年齢になったが、高額医療費制度の所得制限が始まっていた。高額で震えた。

 

⑱「あなたの入院中は何でもするから言ってね」と言う実母。2日間の家族の夕食を頼んだら、「その日は遠方に観劇に行くけど、お弁当買って帰ってくるから」。新幹線に乗り遅れたりしたら家族が困るから、お願い自体を取り下げ。私なら、観劇などは娘に何も告げずにキャンセルして、残りの日数も全部夕食引き受けたろう。

 

⑲現在。参議院議員選挙前。社会保障制度を、高齢者バイアスから子育て世代にシフトしようとの潮流。高齢者の自分も目前に見え始めたころ、子育て時期にも特に支援されず、高齢者になったら切り捨てられていたってことになりそうで、つくづくこの世代の悲哀を感じる。⑧が再び。

 

なんかいっぱいあった。書いてないのもある。けど、私は今まで楽しく笑って生きてきた。でも毎日、ふとしたときに、過去のいやなことを思い出す。でもそれでもいい。それもひっくるめて自分。自分をいたわろう。そして、将来の世代を取り巻く環境の見通しは明るくないけど、笑ってやり過ごせるように。子育て世代のために一票を入れてこよう。