まほの毎日

夫と子ども二人と地方に住んでいます。日常を書きたいと思います。

20220908_夫婦別姓に関して言いたいこと

昨日の続き。自分の経験を元に。

 

多くの人が結婚を決める20代・30代は、ようやく人生を自分の足で歩み始めたころ。まだ吹けば飛ぶような若者特有の根拠のない自信に支えられている。そんな時に名前を変えることを社会に強制されるのは、つかまり立ちをしている支えを奪われるようなものと感じる人がいる。こういう気持ちは、「苗字への愛着」という言葉では説明できない。「愛着」には、個人の趣味趣向という伏線的な意味合いが含まれていて、わがままと捉えられやすい。私なんかはむしろ、愛着という表現は個人のわがままと捉えさせるための罠じゃないかと勘繰るほど。「たかが名前」と言えるのは、選べる自由があってこそなんです。

 

あと、家族が同じ苗字なのが普通、っていう共通認識も、要らない。学校で配られる書類の保護者欄に、子どもと違う苗字を書くたび、自分の選択が間違っていなかったかを自問自答してしまう、そんなことは不必要な社会に。姓を選べる社会では、姓へのこだわりが薄いのは外国を見てもわかること。

 

旧姓利用なんて本当に意味がない。主婦を選択している人は旧姓使う場所ないから、苗字取り上げられたのと同じ。会社員もメールアドレスや名刺には旧姓は使えても、人事や経費精算のための書類や保険証、出張のための航空券には旧姓は使えず。社内でも名前を二つ使う必要がある。「そんな大変な思いまでして旧姓を使いたい自分」への自問自答がここでも始まる。そんな思いはそもそも不必要でしょう。

 

去年、最高裁で夫婦同姓が合憲とされ、国会で審議すべきと差し戻された。国会で審議すべきとするなら、合憲という判断が必要だったのか、訳がわからない。家制度と戦後の経済成長のメリットを最大限享受した世代ががんばっている間は実現しないという確信とあきらめさえある。けれど、みんなが忘れないように、しつこく言い続けて、実現のチャンスをつかみ損ねないようにすることは、次世代の女性たちへ、私たち世代がすべきことだと思う。