まほの毎日

夫と子ども二人と地方に住んでいます。日常を書きたいと思います。

20220907_私の夫婦別姓


20年弱前、私はあまりにも未熟で、結婚が何か、全然わからなかった。したことなかったし。

今いる相手と、ずっと人生を共にする決意があるのか、自分にもわからなかった。それなのに、結婚が役所のフォームにハンコ押して出すという事務手続きを根拠にしているという事実も、訳わかんなさの理由だった。しかも、その相手が違うなぁと思ったとき、別れるのはものすごく大変らしい。裁判とかになったら誰かに理由を説明して納得してもらったり、お金を分け合ったりしないといけない。紙一枚のくせに、めちゃくちゃリスク高いじゃん、と思っていた。


もう一点、結婚がわからなかったのは、結婚に付随する苗字変え問題だ。

その頃は、よろよろとでも自分の足で立っている実感を持ちはじめて、自分の人生を自分で歩く実績を数年積んだところで、吹けば飛ぶようなちっぽけな自分は、苗字が変わったら居なくなっちゃうように感じていた。

それに、直前の数年間の外国暮らしによって、女性だけが改姓を強いられる日本の慣習をとても批判的に見ていた。外国人の友人は、たかが苗字でしょ?あなたはあなたのままなんだから、何でもいいんじゃない?というアドバイスをくれた。けれどその頃の私は、自分がどんな苗字に変わったかなんて全然気にせず、私は私、と心から思えるほど大人じゃなかった。

自分の親の影響もあった。父は家庭を大事にする気がまるでなかった。母はいつも自分の結婚の失敗を、父との結婚を決めた自分の親のせいにしていた。

当時、自分なりに考えたことは、自分の関係する周囲の方々に、一緒に暮らすことになった人をお知らせして認めてもらうことは、その方々を大切にして、今後のお付き合いを続けていく上でも必要だということだった。だから、結婚式はした。

そしてその後入籍はせず、夫婦別姓を選んだ。

私は子どもを作る意味も分からなかった。何しろ全てが痛そうだし、子育てもまるでイメージが持てず、どうしても腑落ちしなかった。

あるとき、地元の友達が出産したので会いに行った。そして、私は子どもを作ることをどうして決意できたのか、尋ねてみたら、衝撃の答えが返ってきた。それは、「そもそも、子どもが欲しくて結婚した」ということだった。

確かに!!子どもを持つ決意ありきだったら、結婚に関する疑問も腑に落ちることもあった。

子どものためだったら、闇雲な離婚はないほうがいいし、苗字も今の日本社会だったら一緒のほうが都合がいい。相手が一生を添い遂げる人かなんて悩む前に、目の前の子どもを育てるために協力し合わないとやっていかれない。

 

今になってわかるけれど、私はかなり幼かった。けれど、その時の気持ちを優先してやってみたことは後悔はしていないし、自分らしいと思っている。

 

子どもを育て始めて10年以上が経った。入籍して10年が経つ。私にとって、結婚している=子どもを育てている、という考えになっている。嫌なことは見えないふりをして自分をやりすごすことにも慣れた(おそらく相手も同様に)。私には、子どもが育った後のことはわからないけれど、一緒に子育てをして歩んだ日々は大切な私たち夫婦の日々だ。そして、自分と苗字を消して子どものために生きている私の日々だ。