まほの毎日

夫と子ども二人と地方に住んでいます。日常を書きたいと思います。

20220928_毒親

 あさイチで、毒親についての特集を見た。あさイチは時々、こんな中年女性の抱えがちな問題の掘り下げ特集をやる。華丸さんが、自分が頭に浮かんだことをそのまんま言うことも、社会一般の視点の提示になり面白い議論につながるし、そういった相方のある意味場にそぐわない発言も、見えていないはずの視聴者の反応をも包み込む、大吉さんの包容力あってのこととも思う。

 

 毒親という言葉が好きなわけではないが、この言葉の出現によって救われた気持ちにもなる。毒は究極のレベル。自分の状況はそこから手前の部分にあると思えることだ。

 

 子は親を毒と思いたくない。自分の親は自分にとって毒っぽいと思っても、親の良いところ、優しかった時の思い出、生んでくれたこと、躾をして育ててくれたこと、お弁当を毎日作ってくれたこと、学校を出してくれたこと、などを思い出し、毒部分を帳消しにはしないけれどかなりの部分を和らげる。だが、子のこうした心の動きこそ、子を却って苦しめる。親のことをこんな風に思ってしまっていいのか、私だって悪い子どもだったんじゃないか、と。

 

 番組ではそうした罪悪感にも焦点を当て、まず自分を守ることが大事と言っていた。親を変えることを期待せず、まず自分を守り、アイ(=I、自分)メッセージのコミュニケーション法を使いながら、ここから親子関係を作ることも可能である。

 

 毒親育ちの子は愛情不足だ。毒とは、愛情をかけすぎることではない。親が親のやり方で愛情を子にぶつけ続け、子が痛いと泣いている状況だ。ぶつけた後、痛かった?と聞くこともない。子は自分が認められなかったという気持ちを抱えて育つ。愛情不足だ。

 

 愛情不足で育った人は、大人になっても自分には何かが欠けていると感じているだろう。でも、子どもの時に不足していた愛情を埋めるため、大人になって親の近くに行って自分を明け渡しても、年老いた親はそれを満たしてくれるものではなく、無防備な自分が傷つくだけだ。自分を守ることとは、そうした自分の中の欠落感をあるがままに受け入れ、自分一人の力で立つことでもある。簡単に言えば、開き直ることである。

 

 親は先に死ぬ。その死に直面した時、自分が後悔することのないよう、自分のために親との関係を今からでも新たに作ること。そのためには欠落のある自分を受け入れて自分を愛してあげること。簡単なようで難しい、大事な事。